資料解説
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2019文化財ウィーク(65),2016文化財ウィーク『いざ江戸城へ!』図録p.13「こちらは、白書院正面の立面図です。屋根の南面の千鳥破風の図面で、左上部には内部構造が描かれています。白書院は、大広間に次ぐ格式を持った書院でした。初めは「小広間」という名称でしたが、寛永9年(1632)頃から「白書院」と呼ばれるようになりました。黒書院と比べ、公的性の高い儀式が行われ、重要な儀式の際には大広間と一体として使われました。公的謁見の場である大広間に対し、白書院では、御三家などとの私的謁見が行われました。(1/20 Scale Cross-sectional Plan of Shiro Shoin, Honmaru Palace)This is an elevation view of the front side of Shiro Shoin drawing room. It depicts the south face of the roof as well as its internal structure (on the left side). The Shiro Shoin was the second most formal room, topped only by the Ō-hiroma. Whereas the Ō-hiroma was a place for public audiences, the Shiro Shoin was used for private audiences with the Gosanke households (three households with direct kinship to the Tokugawa household) and others.」,2012文化財ウィーク(58)「白書院は大広間に次いで格式が高く、年始や五節句などの式日(しきじつ)に、将軍と御三家や加賀前田家などとの対面所として使われました。屋根の南面には千鳥破風が、左上部には内部構造が描かれています。左下は松之廊下から続く桜溜(さくらだまり)で、松之廊下が独自の屋根を持った建物であったことがわかります。」,2011文化財ウィーク(22)「「白書院」は、大広間に次いで格式が高く、年始や五節句などの式日の際に、将軍と御三家や加賀前田家などとの対面所として使われました。屋根の南面には千鳥破風が描かれ、左上部には内部構造が描かれています。左下奥は松之廊下から続く桜溜(さくらだまり)で、松之廊下が独自の屋根を持った建物であったことがわかります。」
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