資料解説
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2019文化財ウィーク(73),2013文化財ウィーク(4)「明暦3年(1657)1月18日に起きた明暦の大火直前に発行された江戸図の写しと思われます。明暦の大火は一説によると死者10万人ともいわれ、有史以来の大惨事となりました。江戸城も、天守閣、本丸、二の丸、三の丸の御殿を焼失しました。天守閣は軍事的、財政的理由から不要論が強く、二度と造営されることはありませんでした。(Newly Updated Map of Edo)This is thought to be a copy of a map of Edo published before the Great Fire of Meireki in 1657. The main tower, Honmaru Main Keep, and other palaces of Edo Castle were destroyed in this fire. The tower of Edo Castle was widely considered unnecessary for both military and financial reasons, and it was never rebuilt.」,2011-1大規模企画展『江戸の町づくり』リーフレットp.2「明暦(めいれき)2年(1656)頃の江戸を描いた絵図です。刊記らしきものによりもとの図は明暦3年(1657)正月に刊行されており、この年の1月におきた明暦の大火(振袖火事ともいう)の前の、初期江戸市街地の最後の様子を知ることができる貴重な資料とされています。大火により焼失した江戸城天守閣もまだ描かれています。北を上にした縦長の極めてめずらしい図で、江戸の南方が加えられています。」
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