カテゴリ /江戸図
題名
 
オクルワウチ ダイミョウ コウジ エズ  
(題簽)大名小路繪圖 全  
版元 金鱗堂尾張屋清七
出版年 嘉永2[1849]/慶応元[1865]改正再版
大きさ 45.7×49.6cm
シリーズ名 [尾張屋板切絵図 1]
シリーズ名カナ オワリヤバン キリエズ 1
江戸図種別 切絵図
書誌注記 木版 色刷;;;;;;;;;;;|//////////////|/
資料解説 2023文化財ウィーク展示資料解説p.15(45)「大名屋敷が建ち並ぶ「大名小路」(現在の皇居、大手町、丸の内付近)の切絵図です。「大名小路絵図」の切絵図は、江戸土産として人気があり版を重ねました。江戸城の場所には、「葵の御紋」が描かれていましたが、慶応元年(1865)に改刻された本図では「鶴と亀」に替わっています。これは、幕府より葵の御紋の使用が禁じられたためとされています。(Pictorial Map of Daimyo Alleys)This is a zonal map of the daimyō koji (Daimyo Alleys, located in the vicinity of the present-day Imperial Palace, Otemachi, and Marunouchi), where many daimyō lords had their residences in Edo. The original illustration showed the hollyhock crest of the Tokugawa household in the location of Edo Castle, but in the revised version this was replaced with an image of a crane and turtle. This is attributable to the shogunate banning the use of the hollyhock crest.」,2013文化財ウィーク(12)「現在の、大手町、丸の内、皇居前広場あたりの、大名の屋敷が建ち並ぶ地域の切絵図です。江戸城の周辺には江戸城防備のため武家屋敷を配置し、この地域は、親藩、譜代、有力外様大名の上屋敷が配置されていました。江戸図の中の江戸城には、城の代わりに葵の御紋が描かれるのが一般的でしたが、安政6年に禁止令が出されたため、この図には鶴亀が描かれています。」,2011-2大規模企画展『江戸の町づくり』リーフレットp.9「展示資料45番の切絵図の16年後の改定版で、明治維新前夜のころの絵図です。葵(あおい)の御紋で表されていた江戸城は、安政6年(1859)に地図等への葵の御紋の使用禁止令が出され、鶴と亀の絵に変わっています。通称鶴亀板と呼ばれています。大手御門の前が大名屋敷から歩兵屯所(ほへいとんしょ)に変わっていることが目を引きます。明治2年にも改訂版が刊行されているので、2版8種があります。」,『江戸地誌とその周辺』図録解説p.3「尾張屋板切絵図中の1枚。嘉永2年刊の『大名小路絵図』を全面的に改刻したもの。原刻版は御城のところに葵紋が描かれていたのが、本図では鶴と亀が描かれていることから鶴亀版ともいわれる。尾張屋板切絵図は、嘉永2年から文久3年までの間に31図が完成、その後明治2年に至るまで改訂して刊行された。尾張屋板の特徴は、色摺が華やかで、紋所があり、上・中・下屋敷を記号で区別し、図の大きさが地域によって異なる等があげられる。特に錦絵仕立ての色彩は、時代の好みに合ったためか、近吾堂版より遅れて刊行を始めたにもかかわらず、それをしのぐ売れ行きであったらしい。しかし、実用性、正確さにおいては、やや劣るとされている。」
分類 一般/各区/麹町、神田/麹町(虎の門、鍛冶橋、九段)/
文庫名 東京誌料
請求記号 0411-27/東0411-027
資料コード 4300035271
製作者 東京都立図書館
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